「サイン」を求める理由

ワヴィニー

契約書への署名の意義については、(1)客観面(署名者による意思表示の証拠化)、及び(2)主観面(署名者の意識的行為により、慎重さ、ひいては将来の履行を確保する等)にある、等と言われています。

それに対し、例えば有名人の「サイン」をもらう意義は、どこにあるのでしょうか?

律子

(1)客観的には、同じ時間・場所に居合わせた、要するに「会った」証拠になりえます。

うれしいですね。

ワヴィニー

しかし、例えば多くの写真集等に「サイン」し、後で配る等のケースを考えれば、必ずしもそうは言えませんね。

(2)主観的には、いかがでしょう?

律子

(2)「サイン」する側の意識的行動を経るため、例えば「律子さんへ」と書けば、私の名前が「サイン」した側の記憶に残りえます。

うれしいですね。

ワヴィニー

しかし、例えばコンサート・試合等の会場で多くのファンに「サイン」する場合、「サイン」する側は言われるがままするだけですから、記憶にはまず残らないでしょうね。

以上要するに、「もらう側の自己満足」が、「サイン」の本質です。

英語が、そのような現実を正確に表現しているように思われます。

律子

…英語においても、契約書への署名を”sign”と、そして署名自体を”signature”と呼びますが…

ワヴィニー

しかし、有名人の「サイン」の場合は、違いますね。

日本語で上述してきた有名人の「サイン」は、英語では”autograph”と表現するのが一般的です。

律子

手元の英和辞典によると…、”auto”には「自動的」という意味がありますし、”graph”には「図」という意味がありますね。

ワヴィニー

以上要するに、有名人の「サイン」は「自動的に生成される図」(のようなもの)に過ぎない、というのが現実認識としては正しいでしょう。

それさえ認識していれば、どこで有名人を見ようが会おうが、「サインをもらおう」等とはゆめゆめ思わないはずですね。

  • X
ドラマ

前の記事

Columbo